【レポート】豚がいた教室

編集部の活動/読み物/
  1. ホーム
  2. 編集部の活動
  3. 【レポート】豚がいた教室
(cinemoより)
食の豊かさとは一口の中にあるのではなく、物語の中にあるのかもしれない。

2018年3月31日、西蓮寺にて映画上映会とゲストを招いての座談会を開催しました。今回選んだ作品は2008年に公開された映画『ブタがいた教室』。公開から10年を経てもなお色褪せることのないそのメッセージを踏まえながら「食と人との理想の関わり方」を考えてみました。

昨今、個人の趣向が多様化する中、そのライフスタイルに合わせるように、様々な食のあり方が提案されています。例えば、フィットネスブームに合わせた糖質制限食品や時間のない人のためのサク飯。どれも個人の要望に寄り添った提案ではあるけれど、食の消費されるものとしての側面ばかりが強調されていることに違和感を覚えます。そもそも食とは、歴史・文化・アートが交差するいのちの集積地。生物としての私が生産される場でもあります。だからこそ人と食との関わり方をもっと広い視野で考えてみたい。そんな経緯でこの企画に至りました。

上映会当日は、集まった20名の参加者と映画を鑑賞し、その後、参加任意の座談会に移り、映画を通して気づいたことを言葉にしていきました。ある参加者は『(飼育している豚を皆で食べるというのなら)そのいのちの長さを、誰が決めるのか』という劇中のセリフを引用し、「本来、私たちにとって身近なはずのこの問いが重く感じた。それは、この問いを直視しなくても快適に食料を手にできる現代の食料システムの存在にハッとさせられた瞬間でもあった」と指摘します。また、ある参加者は「いのちを食べることの意味について、この映画に登場する大人たち(学校教員や畜産関係者)が何らかの答えを提示してくれるのかと期待していたが、そうではなかった」と驚いた様子。その他「余らせないこと、つまり無駄にしないことがこの映画に込められた根底のメッセージだと思う」といった意見も印象的でした。

ここまでは「生きているものを食べることの意味」について対話を繰り広げてきましたが、ここからはもう少し広い視野で「食と人との豊かな関わり方」を捉えてみようと、ゲストとしてお招きした酒井美加子さんを交えてのトークに移ることにしました。彼女は、新しい食文化の創造を担う「キッチハイク」という企業に勤める20代の女性。学生時代から人と食の理想の関わり方を模索し国内外の食の現場に足を運んできた彼女が、どのようなきっかけで食に興味を持ち、どのように食と関わってきたのかをお話頂きました。彼女自身の経験と学びから生まれる語りは、育て手、作り手、食べ手のそれぞれの視座を柔軟に行き来したもので、私たちが日常では意識しづらい”ものの見方”を提示してくれます。その対話の全てに触れることはできませんが、そこでの学びを1つ紹介しておきたいと思います。

みなさんの人生でもっとも記憶に残っている食事は何でしょうか。これまでに食べた豪華な食事を思い浮かべる人はおそらく少数で、多くの方は小さい頃から慣れ親しんだ”母の味”や、桜の下で食べた友人とのご飯、あるいは恋人が初めて作ってくれた手作り弁当だったりするのではないかと思います。そこには必ずしも味の保証を伴ったものではないけれど、そこには食を囲んだ人間同士が共有できる物語があります。互いに長い付き合いであれば、「昔はさー」なんて言いながら、一緒に過ごした時間を振り返えったり。もしそれが初対面の場なら、一緒に食卓を囲むことでグッと親しみを感じるかもしれない。そんな、その場の関係性が過去や未来に広がる時間、つまり物語が共有される瞬間が「誰かと食べる」という営みの中にはあります。食の豊かさとは、一口の中にある美味しさではなく、その一口を特別な瞬間に変えてくれる物語そのものかもしれません。なぜならそれが、たった1回の食事を、何年もかけて味わえるものに変えてくれるから。食事という営みを狭い世界で完結させるのではなく、いろんな人間関係の中で語っていくことが豊かな食生活を営む一歩になる、そんな気がします。

前半の映画鑑賞はいのちを食べる営みとしての食のあり方、後半の座談会は豊かな食のあり方をテーマにしました。映画を通じて、あるいは対話を通じて、日々の営みをいつもと違う視点から眺めてみると、そこには人生をちょっとだけ豊かにする発見があるはずです。