vol.15_特集「揺れるわたし、揺らぐ拠り所」

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「拠り所」という言葉には「頼るところ、支えとするところ」という意味がある。最近よく耳にするようになった「推し」という言葉に代表されるように、自分が心の支えにしているものが存在する状態は、一般的によいこととして受け止められている。趣味や憧れの人など、拠り所にしている物事を表明する人も多い。しかし、そこまで大層でなくても、小さなところでは誰しも何かを拠り所にして生活している。自宅の猫、好きなお店、自分の中での些細なルール、いつかの嬉しかった思い出など、意識するかしないかはともかく、人は生きていく上で色々なものごとを支えにしているのである。

ところが、その拠り所が、いつの間にか自分を苦しめていることもある。その事実に気づいたのは、ある知人の様子がおかしくなったことがきっかけだった。普段からばりばり働き、趣味も全力で楽しんでいた知人が「なんだか調子悪い」と言い出したのは、新しい部署に異動になって半年ほど過ぎた頃だった。ぼーっとして集中できないことが多く、やる気が出ず、ミスも増えた。出社したくないと感じる朝が多いという。「さすがに疲れが出ているのでは?」と話しても、「これまではできていたし、確かに忙しくなったけど無理な仕事量ではない」と言う。一度休むことを勧めるも、その後も無理して働いているようだった。そしてある時、「とうとう何かがはじけた」と言う。それは本人いわく「ほんの些細なこと」だった。会社の大切な鍵を、使った後に元の場所に戻す。それを二回連続で忘れ、自分の机に置いて帰ってしまった。上司に怒られて改めようとした矢先、また同じように自分の机に置いて帰ってしまったのだ。鍵が置きっぱなしになっていると指摘された時、「目の前が真っ暗になった」と言う。どうしてこんなに簡単なこともできないんだ、今までは何なくできていたのに。そして、次の日から会社に行くことが怖くなったという。「気にし過ぎだよ、もっと他にできることもいっぱいあるのに」と話すが、聞く耳を持たない。できない自分自身のことがなにより許せないようだった。

その姿を見ながら、あることに気づいた。その知人にとっては「ばりばり働いている自分の姿」が何よりの拠り所だったということだ。実際、その知人に対して「仕事を完璧にこなし、趣味も全力で楽しめる人」というイメージがあったし、その人自身もそう思っていた節があった。その分、できなくなった自分を受け入れることができないようだった。

だが、これは何も特別な事例ではない。こんなふうに自分の拠り所をふとしたきっかけで失ってしまうことはおそらく誰でも訪れる。では、そのとき私たちは「拠り所」とどのように付き合っていけばいいのか。自分の拠り所はなにか。それはなぜか。それを失った時にはどのように生きていけばいいのか。

今号は、そんな「拠り所」への様々な視座にとんだ文章を集めた。拠り所に対して迷った時、悩む人が近くにいる時、ぜひ助けになればと思っている。

目次

▶︎対談
  何が拠り所になり得るか。 – 正信と迷信の峻別から -(法覚寺住職 吉武文法 × 編集部 小西慶信)
▶︎寄稿
  理想と現実との狭間で苦しむこと(臨床心理士・公認心理師 髙田菜美)
  あなたはだれ?(Tetugakuya店主 杉原あやの)
▶︎連載
  私道かぴの日々人其々
▶︎企画
  バックナンバー一覧
  西蓮寺通信

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