
今回の上映会のテーマは「ものの価値は人の心が決める」というもの。私たちは「これ良いな」や「あの人、なんか腹たつな」といった感情を日々抱いていますが、この上映会はその根っこにある価値観と向き合うことが目的です。
そもそも価値観とは、私にとって何が大切で何が大切でないのか、つまり何に価値を感じるかという「判断のモノサシ」のことを指します。日常の出来事を、自分がどんなモノサシで読み取っているのかを理解しておくことは有益なことです。どうしようもない困難な出来事に直面した時、他のモノサシで考えてみる余裕が生まれるからです。
実は、皆さんも日常生活で、ものの良し悪しを知らず知らずのうちに判断しています。「今日は天気悪いなあ。嫌になるわ。」皆さんが一度は口にしたことのあるこのセリフ。外出する予定があれば、つい口にしてしまいます。誰だって雨に濡れたくありません。ですが、この捉え方は、考え直してみる余地がありそうです。本当に「雨=悪い天気」なのでしょうか。
自分で出来ることは、多ければ多い方がいい。これも多くの人が無意識に価値だと感じていることでしょう。知識は多ければ多い方がいいし、足だって早く走
れるに越したことはありません。視力だって高い方がいい。私たちは能力が高いことが価値だと信じ、能力の低さに価値を感じづらくなっています。そんなモノサシを持つ私たちにとっては、何らかの能力が高まることが成長であり善になります。一方、何かのアクシデントや老いにより、これまで出来ていたことが出来なくなってしまうことは衰えを意味し、避けるべきものだと考えます。
今回鑑賞した映画『台北カフェ・ストーリー』は、そんな価値の捉え方に一石を投じる作品でした。この物語の主人公である2人の姉妹は、自分たちの経営するカフェで物々交換を始めます。「これとこれは交換してもいいけど、これだけだと釣り合わないわ」そんな会話が聞こえてきます。
カフェに持ち込まれる物やそこを訪れる人との出会いを通して、彼女たちはあることに気づき始めます。彼女たちにとって大切なこととは「目の前の物が何なのか」ではなく「それをどう感じるか」。言い換えるならば「現実とどう向き合うのか」という自分自身のモノサシの選び方でした。
暗闇で浮かび上がるもの。
数年前、大阪で「暗闇の中の対話」という催しがある事を知った私は、その催しに参加しました。参加者は8人1組となり、自分の手すら見えない照度ゼロの暗闇の空間に足を踏み入れます。これは、決して目が慣れることのない暗闇の中を参加者同士が協力し合いながら進行していく対話型のエンターテイメントで、一旦、会場に入れば他のメンバーの顔や年齢も分かりません。仲間の声と手渡された1本の杖を頼りに暗闇の中を歩きまわり、今自分がどんなところに立っているのか想像したり、渡された食べ物を推測しながら味わったりします。時には、暗闇を案内する1人のアテンド(案内人)の提案でかくれんぼをすることに。果たして自分が隠れられているのかどうかも疑わしい、視覚を一切使わないかくれんぼ。こんな奇妙な体験を想像できますでしょうか。こうして約1時間ほどの暗闇体験を終え、仲間たちと共に暗闇を後にします。参加者の顔がだんだん見えてくると、それまでとは打って変わって皆の会話に緊張の色が滲みます。聞けば、彼らは新婚カップル・中小企業の社長・イベントの取材に訪れた新聞記者といった面々。1人だけ学生だった私は、少しだけ肩身が狭くなったのを感じました。
ところで、このイベントには興味深い演出がもう1つ用意されています。実は暗闇を案内してくれるアテンド役は、視覚障がい者の方々が務められているのです。視覚を必要としない暗闇では、年齢・職業・身体的な特徴などに囚われることはありません。故に、暗闇の中では「この方は気遣いの上手な方だな」とか「この人は優しい喋り方をするな」といった人の内面性が顕在化します。したがって、暗闇の中では参加者・アテンド含め全員が対等です。誰かがつまずけば誰かが支えるといった下地が、短時間で自然と出来あがるのを肌で感じることが出来ます。しかし、一旦明るさを取り戻してしまうと何かが変わってしまいます。特に顕著だったのが、視覚障がい者と自分との関係性。暗闇では、互いに助け合う仲間でしたが、明るさを取り戻してもなお同じ関係だと胸をはって言えるのだろうかと自問せざるを得ません。
視覚を一切使わない世界では、手にする情報量が少ないことは否めません。ですが、視覚を必要としない文化を経験した人には、見える人々が見落としている大切なことが見えているのではないかと感じます。それは人と人とが支え合う社会において最も大切で「価値あるもの」ではないでしょうか。
私たちの物の捉え方は無意識的なものばかりです。ですが、このモノサシこそが私たちの人間関係や生き方を決める最大の要因でもあります。どうしようもない困難に直面したとき、今のあなたとは違うモノサシでそれを捉えてみると、逆境にもまた違った一面が見えてくるかもしれません。
(文:小西慶信)