【レポート】LIGHT UP NIPPON -日本を照らした奇跡の花火-

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(LIGHT UP NIPPON公式より)

2017年8月11日、西蓮寺で映画上映会を開催しました。「生きる」ヒントが学べる寺作りをしたいと思い、僕たちの身の回りで起きている身近なテーマを取り上げながら、こういった映画上映会の定期開催を目指しています。何気ない日常も自分の見方1つで全く違ったものになる楽しさを、この上映会を通じて皆さんと一緒に学んでいければ幸いです。

昨年末にひき続き2回目の開催となった今回の上映会は、3月11日に実施しました。僕たちは東日本大震災をはじめ大きな災害の脅威に直面した時代を生きています。中でも2011年3月11日は特別な日となりました。いったい何が特別なんでしょうか…。

今回選んだ映画は『LIGHT UP NIPPON -日本を照らした奇跡の花火-』。
これは2012年に上映されたドキュメンタリーフィルムで、震災直後に東京から東北の地に向かった1人の男性を追いかけた約5ヶ月にわたる映像記録です。

映画のあらすじを簡単にご紹介します。
2011年3月11日に起きた東日本大震災。未曾有の地震と津波による膨大な被害を目の前に日本中の誰もが下を向き、これから日本がどうなっていくのか不安を抱いていた時、ひたすら上を向いて歩き続けた男がいた。絶対に不可能と思われた、東北太平洋沿岸部10ヶ所での花火同時打ち上げ。それを可能にしたのはたった1人の男の情熱と「いつまでも下を向いていられない」と立ち上がった現地の人々の生きる力だった。(公式HPより抜粋)

この「LIGHT UP NIPPONプロジェクト」は東京に住む1人の会社員の男性の手によって、震災からわずか数日後に旗揚げされました。彼は被災者たちの声に慎重に耳を傾けながら、震災から5ヶ月後の8月11日に東北沿岸の10地域で、花火の同時打ち上げを達成させます。何より興味深いのは、このプロジェクトの実質的な担い手として事業を推進させのが被災して間もない住民たちだったことです。
では情熱あふれる1人の男性と、苦難に立ち向おうと奮闘する被災者たちの姿を僕たちはどう受け止めればいいのでしょうか。わずか99分の上映時間に記録された映像から短絡して結論に導くのは賢明ではないでしょう。

僕たちが受け止めなければいけないのは、前向きに生きようだとか、何かを成し遂げようといった生き方ではなく、映画の中で被災者がこぼす「震災後に気づいた」ことを、決して見過ごせないその大切なものを、僕たちは見過ごしてしまいがちだということです。東日本大地震から6年経った今、改めてあの震災を振り返る意味を皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

日常・非日常

この映画のメッセージや構造は一見とてもシンプルです。ここに登場するのは、東北のために奔走する男性と様々な想いを抱える被災者たち。街全体の青写真すらない中で生活を再建させよう奮闘する被災者たちを勇気付けようと奔走する主人公の姿には心を打たれます。

一方で僕にとってこの映画は、震災の当事者と映画を見る僕自身の間にある隔たりを否応無く突きつける作品でもありました。日本中がその悲しみを共有するほどの大災害だったにも関わらず、今や僕たちは震災や復興とは無関係だったかのように日常生活を送っています。僕たちがあの震災から学んだこととは何だったのだろうかと改めて問われている気がします。

震災の数日後、ある作家がこんなことを指摘しています。「私たちは今、余震に怯えながら暮らしている。だが数ヶ月もしないうちにまた大きな波に襲われるだろう。日常と呼ばれる震度0のその波に飲み込まれてしまうと、いつか死ぬのだということ、そして死は突然やってくるのだということを僕たちは忘れてしまうのだ。」

南海トラフ地震への対応が叫ばれる昨今、四国に住む僕たちにとっても地震がもたらす「非日常」は他人事ではなくなりつつあります。ここで改めて「日常」という言葉について考えてみます。大辞泉(小学館)によると「つねひごろ。ふだん。」と訳されています。「ふだん」は漢字にすると普段/不断となりますが、これは文字どおり「特に変わりのない、ありふれたことが途絶えずに続く様子」を指した言葉です。災害や死は自分の人生でそう何度も経験することではないので、まぎれもなく「非日常」だと言えるでしょう。ですが、例え僕たちが暮らすこの町でも、毎日どこかで誰かが息をひきとっています。よくよく考えてみると、僕たちの視座1つで「日常」と「非日常」がガラリと変わるんだということを改めて実感します。

上映会当日、映画鑑賞後に何人かの参加者に映画をどう受け止めたのかを聞いてみました。被災者に襲い掛かった悲劇を自分の身近な死に置き換えて受け止めている方もいれば、ご自身が実際に経験した阪神大震災や終戦間際に見た景色と紐づけて受け止められる方もいます。あの震災とは違った場所で違った何かに、僕たち1人1人は被災しているのかもしれません。そうだとするなら「自分ではどうにもできない出来事とどう向き合うか」というテーマが重くのしかかってきます。

昨年末に開催した第1回目の映画上映会は「ものの価値は人の心が決める」というテーマで映画を上映しました。どうしようもない困難に直面しても、普段の自分とは違うモノサシでそれを捉え直すことができれば困難にもまた違った側面が見えてくるのではないか、という言葉でその会を締めくくりました。けれどそれが簡単じゃないことは明白です。

以前僕が復興関連のテレビを見ていたとき「どうやってあの苦境を乗り越えたのですか」と被災者にインタビューするシーンを目にしました。震災を経験してもなお復興に勤しむ被災者への質問に、僕も興味を持ちました。曲がりなりにも仏教を勉強していた僕は「自分が抱える苦悩を客観視できたことで、その困難を乗り越えて来たのだろう」と無意識に考えていました。
けれどその被災者が語った次の言葉に、僕は自分の甘さを痛感させられます。「あんなの誰も乗り越えられちゃいませんよ。」
映画の中では、震災に対する被災者の様々な想いが伺えます。彼らの真意は定かではありませんが、1人1人があの出来事と
どう折り合いをつけるか、静かに葛藤しているように思います。目の前のやるべきことに没頭する人、ひたすら悲しみに暮れ
る人、ただただ自らを悔やむ人、そのあり方はきっと様々でしょう。辛い出来事を自分の言葉で整理できるようになるには、時間と自問が必要です。どうしようもない困難と向き合うことが簡単ではない所以は、そこにあるのだと思います。僕たちの日常は、そんな非日常と常に隣り合わせです。だからこそ、僕たちは自分にとって何が大切なのかを考えるべきなんだろうと思います。そしてその大切なものを「失いたくないもの」として固執するのではなく「今の自分にあるもの」として精一杯大切にしていくことが求められます。先ほどの作家が指摘するように、「非日常」というのは突然訪れるんだということを、僕たちは知っています。そして、そのことをつい忘れてしまいがちな存在でもあります。その不安定な2面性を抱えながらも尚、自分としっかり向き合おうとする。今回の上映会が、そのきっかけの1つであったなら幸いです。

(文:小西慶信)