
イベント概要
イベント | 西蓮寺 仏教講座(第28回) |
テ ー マ | 信が救いと見なされるのはなぜか – 不疑と無疑 – |
日 時 | 2025年04月05日(土)9:00 〜 11:00 |
場 所 | 西蓮寺 |
イベント内容
月に1度開催している西蓮寺の仏教講座です。
「諸行無常」や「諸法無我」。知っているようで知らない仏教思想の基本を学んでいきます。
ここでは「信じる」というより「理解する」というアプローチで、仏教の世界観を垣間見ようと思います。
毎回復習をしながら進めるので、今回からのご参加でも問題ありません。
清々しい空気が流れる朝のお寺。そんな場所から1日をはじめてみませんか?
レポート
扱った内容:信じる・鵜呑みにする・不疑・無疑
2024年に行われた兵庫県知事選が全国的な注目を集めました。SNSでは候補者に関する真偽不明の情報が出回り、多くの有権者の投票行動に影響を与えた可能性があるといいます。いかにも怪しい情報であれば疑ってかかることは難しくありませんが、著名な方や権威のある組織が発信する情報であれば、思わず鵜呑みにしてしまうこともありそうです。
そんなことを考えていたおり、ふと疑問が湧いてきました。浄土真宗においては、しばしば「ただ聞く」とか「そのままを聞く」という表現が用いられており、聞くという行為における取引的(自力的)な態度に懐疑的です。理解や納得を求めて為されるような聴聞と「鵜呑みにする」は、いったい何が異なるのかという疑問です。それで、前回の仏教講座では「信じると鵜呑みにするは同じか違うのか」というテーマを掲げました。
さて、今回は「信じる」と「鵜呑みにする」で交わされた議論を踏まえ、親鸞が見据えた「信」がどのようなものだったのかを考えました。
・「信」とはそもそも何なのか。世間一般に言われる「ーを信じる」という信とは何が違うのか。
・その「信」が救済と考えられるのはなぜか。またそれは何からの救済か。
今回扱ったテーマは以上です。