イベント概要
イベント | 西蓮寺 仏教講座(第23回) |
テ ー マ | 魚川祐司著『だから仏教は面白い!』第5章 |
日 時 | 2024年04月06日(土)9:00 〜 11:00 |
場 所 | 西蓮寺 |
イベント内容
月に1度開催している西蓮寺の仏教講座です。
「諸行無常」や「諸法無我」。知っているようで知らない仏教思想の基本を学んでいきます。
ここでは「信じる」というより「理解する」というアプローチで、仏教の世界観を垣間見ようと思います。
毎回復習をしながら進めるので、今回からのご参加でも問題ありません。
清々しい空気が流れる朝のお寺。そんな場所から1日をはじめてみませんか?
レポート
キーワード:悟り、世間(ローカ)、六根六境
今月は『だから仏教は面白い!』第5章「『世界』を終わらせるということ」を参加者の皆さんと読み進めましました。
〈まとめ〉
Q:そもそも仏教は何を問題(=迷い)としているのか。
A:わたしたちにとっての悪い癖、即ち、自らを苦に導いてしまうような衆生の習慣的な認知のパターンである。言い換えると、仏教は「私たちが抱える苦悩はすべて、わたしたち自身が作り出したものである」という立場を取っているのである。つまり、ゴータマ・ブッダの仏教は、基本的には日頃、私たちがものごとをどのように認識しているのかという問題を扱っていると言える。
それに関連して、仏教の重要な指摘の一つは、私たちはものごとをありのままに認識していないというものである。「今日はいい天気だなあ」と感じるときのように、私たちは目や耳で捉えた生の感覚に独自の意味や解釈を伴ってものごとを認識している。5章のキーワードに「六根六境」というものがあった。目、耳、鼻…の五感に心を加えたものと、それらの認識対象のことだが、これはそのことを分析するために概念化したものであった。
・「世界(世間)というのは、凡夫による欲望を伴った六根六境の認知によって成立するもの」であり、「執著を伴った衆生の認知のことを『世界(ローカ)』と言っている」(p232)
・「欲望の対象を喜ぶ気持ちにナイーブに流されてしまうという、自然の傾向性に逆らえないでいるうちは、欲望の対象に釣られて右往左往し続けるという苦の状態からは脱却できない」(p239)
5章の冒頭で著者が指摘している通り、「悟り」は豊かな意味の広がりをもつ言葉で捉えどころがありません。それゆえ極めて曖昧な表現で語られることが多く、苦のリアリティがない初学者にとっては、なかなか魅力的には映りません。その点、本書は上に引用した通り、明晰な表現で仏教の教理が描写されており、裾野の広い仏教思想を探究する者に心強い足場を用意してくれている。改めてそんなふうに感じました。