書評:『戦争とバスタオル』

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評者:私道かぴ

戦争とバスタオル
著者:安田浩一(文)・金井真紀(文と絵)
出版社:亜紀書房

戦争とバスタオル

ほんわかした色彩の可愛らしいイラストが目にとまる。身体だけでなく心も温まるような湯けむりエッセイだろうか…そんな期待を抱き、この本を手に取った。しかしよくよく見ると、ガスマスクらしきイラストも描かれている。タイトルに「戦争」とある通り、この本は世界各国の温泉をただ紹介していくだけではなく、平和の象徴であるような「温泉」と、その土地や湯に関係する「戦争の歴史」を結び付けて紹介するめずらしい一冊だ。

本著では、ノンフィクションライターである安田浩一氏と、文筆家兼イラストレーターである金井真紀氏が二人で現地に取材に行き、それぞれの視点で文章を綴っている。年代も、性別も、考え方も違う二人の文章は、ところどころ対立や意見の相違も見られる。しかし、それだけ二人が結論ありきではなく、真剣に、取材を進めてこの本が出来上がったのだということがわかる。

全部で五章から成り、日本だけではなくタイや韓国など様々な国の温泉を巡るエッセイは、読み進める度に、日本の被害や加害がくるくると入れ替わるように浮かび上がってくる。第一章で取り上げられているタイのジャングルの中にある温泉は、第二次大戦中の旧日本軍の保養地だった。現地に続く鉄道は、かつて旧日本軍が連合国の捕虜と、アジア各国から集めた労働者を強制労働させてつくらせたもので、「死の鉄道」と呼ばれている。本の中では「本当にひどいことをしたんだよね、日本人は」という金井氏の言葉と共に、かつての行いや、現在その歴史が現地でどう伝えられているのかがイラストと共に綴られている。その部分だけでも十分に読み応えのある内容だが、この本の核となるのは、何といってもその後に「実際に温泉に入る」記述だと思う。

それまでの心が苦しくなる歴史と比べて、温泉に入る記述はどこかほのぼのとしている。肌に優しい泉質と零れ日が差し込む温泉の描写は、読んでいるこちらの頬も緩んでくるほどの心地よさを伝える。温泉はすっかり観光地になっていて、時には世界各国からの観光客がやって来る。かつて国同士で線を引き、争い合っていた人間同士が、お湯の中ではみな平等に癒されているのだ。国や信仰が違っても、同じ湯の中に入っているとそれもなんだかちっぽけなことのように思える。「世界平和」と文字で示さなくても、この温泉の描写によって読者は何か大切なメッセージを受け取ることができる。

本著のあとがきのような「付録対談」には、この本が決して最初から「戦争と温泉」という構成で進む予定ではなかったことが記されている。「世界各国の風呂に浸かりながら、その国の文化と歴史を学ぶ」予定だった企画は、コロナ禍の影響もあり徐々に方向性が変わったという。何より今しがた触れた「タイのヒンダット温泉」を最初の取材地にしたことで、その土地に残る戦争の影響や日本の加害性に気付き、後に巡る土地の選び方が決まったそうだ。本の中では他にも沖縄県唯一の銭湯や、神奈川県の寒川町にかつてあった銭湯、「うさぎの島」で有名な大久野島の温泉のエピソードが語られている。

私は、この「いつのまにか戦争と温泉の話になっていた」という部分にも本著の魅力があると思う。「戦争」というと、つい構えてしまいがちだが、それは実の所ひょんなことから知っていくものであり、実は私たちの身近に名残が転がっているのかもしれない。著者二人の興味のままに続く温泉と戦争の歴史の旅を、ぜひ気負わずに味わってほしいと思う。

参照:版元サイト


私道かぴ / Kapi Shido
作家・演出家
人々の生きづらさに焦点を当てた会話劇を得意とする。安住の地では、作家・岡本昌也との共同脚本・演出も行っている。2020年は無言劇『であったこと』、映像劇『筆談喫茶』など、新しい会話劇の形を模索する作品を発表。APAF2020 Young Farmers Camp 修了。身体をテーマにした戯曲『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に選出された。