評者:私道かぴ
家をせおって歩いた
もしあなたの家に突然、発泡スチロール製の家を背負った人間が訪ねてきたらどうするだろうか。しかもその人が「一晩でいいので、この家をあなたの家の敷地内に置かせてください」と言ってきたらどうするだろうか。これは、実際にこの日本であった出来事である。著者であり美術家の村上慧氏は、人がひとり入れる持ち運び可能な作品(家)を発砲スチロールで制作し、それを担いで日本を歩くという活動を実施。本著は、その日々の記録をまとめた一冊である。
『これから僕は「移住を生活する」ということをはじめてみる。これは、それまでの僕自身の生活を俯瞰するための方法。』という書き出しでこの本は始まる。日記調でさくさくと進む文章は読みやすく、所々くすっと笑ってしまうようなユーモアもある。しかし、読み進めていると、つい立ち止まってじっくり考えてしまう部分に出くわす。
『なんとなく見えてきたのは、僕らの生活が思った以上に閉じたものであるということ。僕たちは閉じ込められている。自動販売機を夜通し動かすために、ハンバーガーをひとつ百円で買うために、十キロ離れた仕事場にすばやくたどり着くために、仕事をしている。明日の仕事と生活のために、今日の仕事と生活を営む。』
日々の生活の中では気にも留めない私たちの当たり前を、著者はじっと見つめて、指摘していく。今の働き方を続けることで、私たちは何を見落としているのか。同じ場所に住み続けることで、何か決定的な間違いを犯していないか。
著者がいだいたこのような問いは、旅を通して社会と接するうちに更に深化していく。『道路や公園に家を置いて寝るのは違法行為らしいので、誰かの敷地に家を置かせてもらいながら寝泊まりして、移動していく』という生活は、必然的に交渉の毎日でもあるのだ。
見ず知らずの人間(しかも家を背負っている)に快く庭を提供する一家や、神社仏閣もあるにはあるのだが、警戒心を持ち、他人の目を気にして断る人も少なくない。中でも興味深いのは、「公共の場所だから」という言葉が、拒否にも承諾にも用いられる点だ。「ここは公共の場所だから家を置くことはできない」という人は、おそらく「他の人の迷惑になることは、みんなの場所でやってはいけない」という考えがあるのだろう。反対に「公共の場所だから家を置くことができる」という人は、「公共の場所は皆のものであり、そこでは個人がやりたいことをやってもいい」という考え方なのだろう。
このような意見が並んだ時、私たちは咄嗟に自分の考え方を振り返る。自分は「公共」という言葉をどのように認識しているのだろうか…? もし発泡スチロール製の家を背負った人が訪ねてきたら。あなたならどう答えるだろうか。その答えは、おそらくあなたが今「社会」を、そして「生活」をどう考えているかを浮き彫りにするだろう。この本を通して、ぜひ一度向き合ってみてほしい。
私道かぴ / Kapi Shido
作家・演出家
人々の生きづらさに焦点を当てた会話劇を得意とする。安住の地では、作家・岡本昌也との共同脚本・演出も行っている。2020年は無言劇『であったこと』、映像劇『筆談喫茶』など、新しい会話劇の形を模索する作品を発表。APAF2020 Young Farmers Camp 修了。身体をテーマにした戯曲『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に選出された。