書評:『ホハレ峠 ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡』

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評者:私道かぴ

ホハレ峠 ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡
文・写真:大西暢夫
出版社:彩流社

「土地に根差す」

「土地に根差す」とは一体どのようなことだろう?

ここ数年、わたしは日本の様々な地域に滞在させてもらっている。それ以来この疑問がむくむくと大きくなってきた。どの土地にも、懸命に生きている人がいる。しかしその「懸命に」などという枕詞は私がよそ者であるから付けられるのであり、その実態を何ひとつ知らない。

この『ホハレ峠 ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡』という本は、かつて岐阜県にあった徳山村の最後を綴ったものだ。ダム建設のため廃村になり、今では水の底に沈んでいる土地を舞台にしたルポルタージュで、この土地に最後まで住み続けた廣瀬ゆきえさんというお婆さんの軌跡が、力強いモノクロ写真と共に記されている。

著者が村に通い始めた頃の描写には、いきいきとした村の様子が踊る。春になったら山菜取り、畑に豆まき、冬を越すための保存食づくり、トチの実を使ったトチ餅づくり。活発に動き回る老夫婦ふたりの姿が目に浮かぶ。しかし、その盛りはすぐに終わってしまう。第一部の最後、ダム建設のため部屋を片付けるゆきえさんの写真には、言いようのない悲しみと凄みが漂っている。

第二部は、そんな徳山村の百年の歴史を追う構成になっている。驚くのは、ゆきえさんが移住先で亡くなった後、彼女の話を元に著者が各地を歩き回り、同じ景色を観たり、交流があったであろう人に出会ったりすることだ。どうしてそこまで、と思うが、そこには著者の以下のような動機があった。

「ゆきえさんの生涯を単に知りたいだけでなく、ゆきえさんがなぜ徳山村に最後まで住み続けたのかという疑問を、すっきりさせたかったのだ。」

この思いから著者はゆきえさんが初めて峠を越えた道を追い、かつて向かった開拓の土地・北海道に向かう。この執念の取材があって、最後には驚きの事実にたどり着くことになる。それは「門入集落に暮らす人たちは、いくつかのパターンの名字はあるものの、どこかの代で必ずと言っていいほどお隣さんと血が繋がっている」ことだった。これは、土地を存続させることを第一優先に先祖が着々と繋いできた流れであり、そのつながりがあったからこそ過酷な開拓にも向い、また再び徳山村に戻る、というような人生の選択があったのだろう。晩年のゆきえさんの言葉が胸に刺さる。

「金、金ってなんかみじめでな。何もかも売ってしまったで、後世に残せるもんが何も無いんよ。先代が守ってきた財産を、すっかりこと一代で食いつぶしてしまった。金に変えたらすべてが終わりやな」

この本を読んで、おぼろげだった「土地に根差す」の意味をより深く考えるようになった。ゆきえさんは、移住先の土地で「豊かな」生活をしたというが、その冷蔵庫には村で暮らした時のように四季折々の総菜が詰められることはなく、がらんとしていたという。「土地に根差す」とは、本当に根っこのように深く深く張り巡らされた縁の上に立つということで、それはたった一人で判断できるほど簡単なものではなかったのだろう。

そもそもこの本を手にしたのは、あるダムを題材に作品をつくることになり、ダムについて調べている時だった。そのことを友人に話すと、思わぬ言葉が返ってきた。

「その本を読んでみて、どうだった?ダムを作るっていうのは、結局よかった?悪かった?」

言葉に詰まってしまった。本著で見た、様々な顔が浮かび、色々な言葉が反芻された。その質問に、私は答えを持っていなかった。ただ黙って、この本を読んでほしい、と差し出した。きっと、ここに答えに近いことはすべて載っている。そんなことを思った。

参照:版元サイト


私道かぴ / Kapi Shido
作家・演出家
人々の生きづらさに焦点を当てた会話劇を得意とする。安住の地では、脚本・演出を行っている。2020年は無言劇『であったこと』、映像劇『筆談喫茶』など、新しい会話劇の形を模索する作品を発表。APAF2020 Young Farmers Camp 修了。身体をテーマにした戯曲『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に選出された。