書評『当事者は嘘をつく』

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評者:私道かぴ

当事者は嘘をつく
著者:小松原織香
出版社:筑摩書房

「当事者性」とは何か

「漫画家とかアーティストとか脚本家とか、どんなにつらいことがあっても作品のネタにできるからいいよな」

これまでの人生で、幾度となくかけられた言葉である。この言葉を聞く度に、私は「そうかもねえ」と返事をしながら少しの違和感を持ってきた。でも、その原因をわざわざ考えることはなかった。

私は、あまりよいとは言えない家庭環境を反映した演劇作品をつくり、また、職場環境がよくなかった時代のことを書いたコラムを発表してきた。しかし、発表する度にどこかもやもやする、何かを「消費している」ような感覚があった。あれは何だったのか。あまり深く考えていなかったこの違和感について、ふと手に取ったこの本を読んでよくよく顧みることになった。

「当事者は嘘をつく」、衝撃的なタイトルだ。著者は哲学研究者であり、自らも性暴力の被害者(当事者)である。本書の前半は、自らが性暴力の経験からどう向き合ってきたか、そしてどううまく向き合えなかったかが記されている。中でも印象的だったのは、加害者を赦そうと電話をするが結局わかりあえないまま終わってしまう場面だ。著者は相手を恨み続ける状況において「自分が壊れてしまう感じ」を抱き、「〈赦し〉」という行為を試みる。しかしそれは失敗に終わる。その行為に対して、精神科クリニックの先生など周囲からはよくない反応ばかりだったという。「どうせ傷つくだけなんだからやめておけ」という気持ちがあるのだろう。しかし、著者がこのような挑戦をするのは「回復の物語を手に入れるため」だという。傷ついた状況から新たな物語をつくり、そこから生き延びるためなのだ。著者は自助グループに入り、そこでお互いの経験を語り合うことで「自助グループの仲間たちと作り上げたアイデンティティ」を獲得する。それは次のように記されている。

その(アイデンティティの)中には、他者の記憶も混入し、個別の「私」という輪郭は曖昧になっている。私が「性暴力被害者として語る」ということは、「内面化した被害者たちの複数の声で語る」ということである。

※カッコは編集者追記

この点を自分に照らし合わせると、私は脚本を書くことで新たに「回復の物語」を手に入れていたのではなかったか、と思った。書いて、役者に演じてもらうことでそこに他者の物語も介入し、また新たな物語として自分の中でつらい記憶を克服していたのかもしれない。

本著ではこういった被害者(支援される側)と精神科クリニックの先生や支援者たち(支援する側)の構造の危険性も説いている。ある公開シンポジウムで、うまく話せなくなった被害者に対し、支援者がかけた言葉が次のように記されている。

「みなさん、被害者っていうのは、こんな風に話せなくなってしまうことがあります。だから、私たちが隣にいて、解説する必要があるんですよ」

とんでもない言葉だが、「支援する側」からすると善いことをしている認識があるのだろう。しかし、これは支援される側にますます強固な被害者像を強いるもので、支援される人々の本当の回復にはつながらないのではないかと思う。

このとき著者が感じた憤りとは比べ物にならないだろうが、「どんなにつらいことがあっても作品のネタにできるからいいよな」という言葉に私が違和感を覚えるのは、この感情の延長に答えがあるのではないかと思った。つまり「この人はつらい経験をして、しかしそれを作品に昇華することで乗り越えている」という物語を、他人に強いられている気持ちになったのだと思う。例えそうだったとしても、そのレッテルを外側から張り続けられている限り、私はいつまでも被害者のままなのだ。

本著の後半は、水俣病の調査を行いながら、著者が「当事者ではない」物事についてどのように感じ、書き記していくのかの覚悟と感情の動きが語られている。

私が「書けない」ことに葛藤し、苦しみ、筆が進まなかったのは当事者だったからである。だからこそ、水俣に来て私が「書けない」と思うことは、苦悩のふりをしているようにしか思えなかった。私はここで「書けない」わけがない。「書ける」のだから、書かなくてはならない。

近年、「当事者性」という言葉がよく聞かれるようになった。
家庭や職場での経験を反映させた「自分の物語」を書いた後、各地で出会った人々の物語を書くことに移行している最近の私には、著者の覚悟が強く響いた。「当事者」と「当事者ではない人」、「支援者」と「支援される人」の関係を考える。ひいては、「自分」と「自分以外の人」という異なる環境を見つめ、考え続ける。わかりあえない状況に当たった時、今後きっと何度も読み返すだろう一冊だった。

参照:版元サイト


私道かぴ / Kapi Shido
作家・演出家
人々の生きづらさに焦点を当てた会話劇を得意とする。安住の地では、作家・岡本昌也との共同脚本・演出も行っている。2020年は無言劇『であったこと』、映像劇『筆談喫茶』など、新しい会話劇の形を模索する作品を発表。APAF2020 Young Farmers Camp 修了。身体をテーマにした戯曲『丁寧なくらし』が第20回AAF戯曲賞最終候補に選出された。