評者:小西慶信

『[唯識]の読み方―凡夫が凡夫に呼びかける唯識』
著者:太田久紀
出版社:大法輪閣
唯識の読み方―凡夫が凡夫に呼びかける唯識
仏教思想の中には唯識(ゆいしき)と呼ばれる教理体系がある。一応、この唯識は仏教の基礎教理に位置付けられており、仏教心理学とか仏教哲学と評されることもあるが、その特徴は言葉と道理を尽くして仏教を説明しようとする点にあると著者は言う。私が唯識に興味を持ったきっかけは、信ずることよりも理解することを手始めとして、仏教の門戸を開いてくれたからだった。
思うに、現代を生きる私たちは、無条件に何かを信じることが得意ではない。むしろ何かにつけて「なぜ?」と問うことが、現代の作法の一つであるようにさえ思える。
私が普段親しんでいる浄土教では、ときとして「ありがたい」とか「尊い」といった個人的な心象が過剰に強調されることがある。そうした心情を語る人は、自分の感じていることをそのまま語っているつもりでも、聞き手としては、そこにどうしても断絶を感じてしまうのである。
唯識とは、「唯だ識(認識)のみが在る」という立場にたち、われわれ人間の認識作用を微細に分析し、「苦(煩悩)」が生じるメカニズムを明らかにする。そして、覚者(智慧を得た者)にとっての認識がいかなるものかを示すことで、そこに私たちは仏道を見る。
その点、私たちの生が苦(=ドゥッカ)そのものであるという仏教の根本命題を「認識のメカニズム」の上で明らかにしてくれるので、これまでなんとなくでしか理解していなかった「無明」や「(親鸞の言う)悪人」の意味が、本書のおかげでより現実的に感じるようになった。
唯識の入門書は、私の知っているものに限っても数多く出版されているが、本書は文章・構成がわかりやすく明瞭なので是非ともオススメしたい。ただ少々値が張ることと若干入手しづらいことが難点である。
参照:版元サイト

小西慶信 / Yoshinobu Konishi
西蓮寺 所属。
1992年の冬に生まれ。最近お寺の中にひっそりと編集部を立ち上げ、仏教講座や『 i 』というマガジンの企画・制作を担っています。仏教は勉強中。